– 大橋さんはフォトグラファーという事ですが、なぜその職業を選ばれたんですか?
母が洋服を作る人でしたので、私も何か物を作る人になりたくて。先生に進路相談をした時に「何かを作る人になりたいのなら色の勉強をしなさい。」と言われました。それで中学3年生から、奥沢で高橋永順さんが主催していた『 ログ・キャビン』というお花教室のお稽古に行き始めました。
高橋先生は、夜のヒットスタジオや郷ひろみさんとリーさんの結婚式のお花、それから鳥居ユキさんのショーや、美空ひばりさんが亡くなられた際の枕花なども担当された方で、派手な作品ではなく、“野に咲いているお花を100%美しく見せる”事が上手な先生なんです。 そこは田園調布の奥様方の教室という感じだったんです。でも私は、将来的に何かに役立てようと思って行っていたので結構真剣に習っていました。高校を卒業して写真学校に入学してからも教室に通ってましたよ。写真学校に入ったきっかけは、高橋先生でした。先生は自分で生けたお花の写真をご自身で撮影する方でした。フラワーアレンジメントの先生で、自分の作品を撮っていらっしゃる方は皆、男の先生で女の人では高橋先生だけだったんです。しかも、先生は篠山紀信さんのお弟子さんだったんですよ。そこで私が、「私も写真を撮れるようになりたい!」と先生に言ったところ、「では写真学校に行きなさい。」と言われて、日吉にある東京総合写真専門学校に入学しました。ラッキーな事に、たまたま、アートよりの写真学校はその学校しか無かったんです。技術を教えるだけの写真学校は他にもいっぱいあるんですが。それでアート写真の方が気に入ってしまって。
その後、高校2年生の時にコニカの新人賞を受賞し、初個展をしてから仕事が来る様になりました。
写真学校は本科が3年で卒業なんです。その後は、2年間の研究科に進み、アルバイトをしながら学生生活を5年間続けていたんです。その後、フランスの写真学校に入学しました。
– 面白いきっかけですね。短い期間で充実した経験をなさっていますが、フランスの学校にはどれくらいの期間、通っていたんですか?
フランスのアレルという所の写真学校に少しだけ通いました。その学校は一つのカリキュラムが3ケ月で終了するんですが、1カリキュラムだけ受けてきました。その後、帰国し今に至ります。
– この充実した経験で良かったという事はありますか?
フラワーアレンジメントを習っていたお陰で、撮影でテーブルコーディネートが必要な時、スタイリストさんがいなくても、私がコーディネートできるので予算がなくても大丈夫です(笑)。あと、やはりカメラの被写体深度の奥行きや、レンズの特異性を理解して色の配置をすることはスタイリストさんには出来ない事なので、それが両方出来るのは良いですね。例えば、ぼかしたいならどの色を持ってくれば一番効果的か、という事も分かるし…。クリーム色を光の傍に置いてしまうと少しとけてしまう、という事も分かるし…。だったら肉眼で見るより少し濃い色を持ってくるのが良いとか…。逆にスタイリストさんに指示する事も出来るので、その時の経験が凄く役立っています。
– アート寄りの写真学校を選ばれたのが良かったんですね。技術だけの学校だと、今の様な写真のスタイルにはなっていないですよね。
カンプ(仕上がりの見本)を見て撮影をするんですが、今はフリー素材で色々なデータがインターネットで使用できるので、カンプ技術が上がっています。だから、カンプの時点でそのまま入稿できるレベルのものが渡されるんです。それでも撮影をするという事は、渡されたカンプ以上の作品を求められているという事なんですよね。写真は、撮影した時と現像してから出来上がる作品の違いで驚きがあります。それと同時に、「こうすれば良かった。」という後悔もあるんです。だから準備だけではなくて、構成で考えられる幅や、奥行きなど、色々と考なければなりません。頭の中の引き出しを撮影の時にオープンにしておいて、色々な資料を入れておかないといけません。「じゃあこうしたらどうですか?」とか「天候が急に悪くなったから、こうしましょう。」という柔軟性も必要です。プロというものは常に上を目指さなければなりませんからね。
作品を撮っている時は、現場にクライアントはいないので、自分の頭の中で「ああしよう」「こうしよう」と、作品を作っています。その頭の運動をしているから資料作りなどのデスクワークの仕事でも「こうしよう」「ああしよう」のアイディアがすごく出るようになってきて、引き出しの開け閉めを、常にしています。
– 写真家になってから、この技術が必要だから…ということで習い始める方が多いと思いますが、大橋さんの場合は、カメラマンに必要な技術を意識せずに取得して、ゴールにカメラマンという職業があったんですね。
スポーツ選手は試合に出るまで、もの凄い準備が必要じゃないですか?カメラマンも同様で、撮るだけなら誰にでも出来るんですよ。しかし、その前の準備や段取り、撮影順番によって効率が変わるんです。そういう事から違うアイディアが生まれるかもしれないし、誰かに負担がかからないようになるかもしれない。だからスポーツと一緒!試合が実際の撮影時間で、準備時間に私は一番時間をかけるようにしています。そうすると、やっぱり椅子に座っての資料作りが長くなってしまいますよね。
– 写真集を出版なさっているんですよね?
そうです。2010年の11月に出版したものは、二冊目になります。この写真集はシャボン玉をモチーフにしていて、色々な風景とシャボン玉を、カメラレンズのシャッター幕の絞りで調節して撮影しました。
– それだけで、色々な表情の写真になりますね。表紙の撮影場所はどこですか?
九寨溝(キュウサイコウ)と言って四川省の山奥です。行くのに2日かかりますよ。まず上海か北京に飛んで成都に飛びます。そして一泊し、また成都から九寨溝に行く飛行機に3時間くらい乗って、また一泊して、次の日は朝から5~6時間くらい山を登ります。標高がすごく高いので高山病になったり、息が苦しくなりました。他のページの撮影場所は夕張の廃校になった小学校です。校庭がジャングルの様になっているでしょ。これは、財政破綻した夕張市に観光客を呼ぶために、写真家13人が夕張市を撮り下ろした「フォトジェニックポイントin夕張」というイベントをした時の写真です。北海道放送が撮影に来てくれましたよ。次の日、撮影場所に来た知らない女性に「あんた、昨日TV見たわよ。」と話しかけられたり(笑)、シャボン玉をしていると「一緒に撮っていい?」と話しかけられて「あ~、どうぞ!どうぞ!」と一緒に撮影したりしました。
– 撮影ロケ地は誰が決めているんですか?
自分です。去年の2月にメキシコのカンクンに行き、チチェン遺跡のセノーテという泉を回りました。すごく良かったですよ!
カンクンに撮影場所を決めたのは、“2012年の12月21日に、この世が終わる。”と言われているマヤ文明の第5サイクルというのがあり、そのサイクルに従って「カンクンに行ってこようかな。」と思ったんです。カンクンにはチチェンイッツァという遺跡がありますが、その遺跡のピラミッドがカレンダーになっていて、「それを見に行かなくてはいけない!」と強く思ったんです!その遺跡にある泉が“聖なる泉”と言われていて、昔はそこに、生贄になった人が自ら飛び込んでいたんです。すごい所でした。
– 私もその遺跡を見に行きましたが、その生贄の数だけ彫刻の首が積んでありますよね。セノーテは観光客が泳いで良い場所もありますよね?
そうですね。あと、ドス・オホスという“2つの目”という意味の泉があり、出口が別々なのに中で繋がっています。洞窟部分はガイドがいないと危険で、呼吸をしようと上に上がっても、天井まで水の為、帰って来られないダイバーもいるそうですよ。怖いですよね。最初は軽いノリでダイビングをやったりしていたんですが…。でも、グッと作品を変えて生と死の境目を表現したくて。それでドス・オホスや軍艦島へ行ったり、結構ヘビーな所に行っていました。それに、チチェン遺跡の中のサッカー場には輪がかかっていて、そこにゴールした人は首を切られるんです。でもそれが英雄の印で家族は万々歳なんですよ。意味が分からないけど、文化や時代の違いがありますよね。
その時に撮影したものが新作の写真集になる予定です。今年中には編集して、出版したいなと思っています。今は写真集が売れないので出版できるか分かりませんが…。
– では今年は写真集が出るかもしれないということですね。楽しみにしています!写真集を作る時のイメージは、どのようにわかせるんでしょう?
本を読んだり、映画を見たり。でも映像を見すぎるとイメージが強すぎてコピーになってしまうので活字が多いですね。あと絵本とか!そういったイメージをわかせる時や資料を探したりする時も椅子に座り続ける事になるんですよ。
– 1日、何時間くらい椅子に座りますか?
5~6時間は座り続けています。撮影の時以外は家で原稿を書く事が多いので、そうすると半日くらいはパソコンの前にいる事になります。普通の椅子に座って物を書いていると、どうしてもモニターに顔が近くなってしまい、すごく疲れるんです。そこでアーユル・チェアーに座るようになりました。
– アーユル・チェアーに座ってから、体に変化はありますか?
以前は何度かぎっくり腰になっていたんですが…今はない!それに、今まで不安要素が腰にいて、いつも不安でしたがそれも無くなりました。
– ぎっくり腰になったのは仕事中ですか?
いえ、高校時代に体重が10kg位ある家の犬と遊んでいたら(笑)。犬と一緒に倒れながら「ママ~!!」と呼んでも「何遊んでいるのよ~。」と放置されて…。「そうじゃないのよ~!!」って(笑)。それで、一度ぎっくり腰になってからクセになり、今までで3~4回はぎっくり腰に…怖いですね…。気を付けてはいるんですが。フリーになりたての頃は、アシスタントをつけられないので、必要な機材は全部自分で持って行かなくてはならなかったんです。車も持っていなかったので、バイクに機材を積んで、ただでさえ腰に負担がかかっているのに、長距離運転で移動していました。車だと全部機材を車内に置いてロケハンに行けますが、バイクだと全部持って行かなくてはならないんです。一日に持っている荷物の量は10kg~15kgくらいじゃないかなぁ…もう米袋ですね(笑)。だから、かなりの負担がかかっていたと思います。
– 荷物で10kgは凄い量ですね! 普通、女子は10kgの荷物持ち歩かないですよ!
10kgの荷物をテーブルに置いたら、天板がひっくり返りますよ。バッグリングに10kgのバックをかけたら、反対側が上がりますよね(笑)。
– 毎日、その量の荷物を持ち運んでいたら、すごく筋肉が付きそうですね。筋トレ等をしていたんですか?
大:今は筋トレはしていないので、体にしっかり筋肉がついていないんですが…。以前は、筋トレをしていて、スクワットでウェイトが27kgを上げれるくらいでした。高校生の時はお稽古でフィギュアスケートと空手をしていました。
– フィギュアスケートですか!女子の憧れのスポーツですね。どれくらいの期間やっていたんですか?
大:小学校から高校まで箱根の学校に通っていたんです。箱根市の学校は体育の授業で、プールが無い替わりにスケートの時間があったんです。だから生徒全員、自分のスケートシューズを持っていました。私は渡辺絵美さんのスクールに通っていました。生まれた頃から箱根に住んでいる子はスケートが上手でしたよ。私は兄がホッケーをしていた事もあって、ただ好きで習っていたんです。
– フィギュアスケートは体の軸が大事なのでは?
大:そうです!!軸が大事!それだからか、スキーには興味を示さなかったですね。何回か滑りましたが、あまり面白くなくて。今、浅田真央さんのトレーナーをしている『ウィダーラボ』の牧野さんという方に当時、トレーニングを受けていたんです。
– 凄いですね!私もフィギュアスケートの大会を見るのが好きなんですが、浅田真央さんの登場でますます人気がでてきたように思います。ところで、フィギュアスケートと空手を習っていたというのは、凄く対局的ですね。
本当はクラシックバレエをやりたかったんですが、父親に反対され…。フィギュアスケートとバレエは基本が繋がっているので、その2本立てをやりたかったんです。でも、父の勧めで親戚の道場で空手を始めました。入って早々、知らない子に投げ飛ばされましたよ(笑)。
はい…(笑)。そんなはずでは無かったのに、犬を抱えただけで、ぎっくり腰になったという事がショックで…。だって、フィギュアスケートは軸がしっかりしたスポーツだし、空手は下半身が強化されるスポーツでしょ。でも犬を抱えただけで…。面白いですね(笑)。やはり不意打ちは一番怖いなぁと思いました。でも、そんなに簡単になっていたぎっくり腰がアーユル・チェアーに座るようになってから、一度もないんですよ!
– アーユル・チェアーの良い点はどこでしょうか?
座ったまま移動ができる所が良いですよね!それに日本の家の大きさに合っています。私は体が小さいので、普通の椅子だと埋もれる感じがあるんですが、アーユル・チェアーはしっかり座っている感じがあります。それに私の事務机は大きいダイニングテーブルを使用しているんですが、スポッと中に入るので掃除も楽です。事務所の邪魔にもならないし!
– 椅子は意外と場所を取りますよね。愛用者の方にインタビューで伺うと、ほとんどの方がコンパクトなところが良いと言ってくださいます。
動きやすいですよね。座ったまま窓を開けに行ったり、パソコンで作業をしたり、プリンターに印刷物を取りに行ったりと…凄く滑らかに動線を確保できます。1台のパソコンをやりながら、2台目のパソコンでデータを焼いたりする事が多いので、お陰で凄く役立っています。新しい事務所が絨毯なので、つまづくかと思っていましたが、5本脚なのが良いのか、全然なめらかに動きますよ!3本脚よりも体重が分散しているから良いのかもしれないですね。それに、腰当もちょうど腰に当たってすごく楽!!あと、素材が良いですね。夏に汗をかいてもペタペタしない。薄着や短パンで座ると、普通の椅子は汗の跡が付く事が多いので嫌でしたが、アーユル・チェアーはそういう事もありません!
間違いなく、昨日より今日の方が年を取っていますからね。50代のモデルさんがよく、そうおっしゃいますが、実際言われると、グサってくるんです(笑)。だから私は「今日は、明日より若いねっ!」と言いかえしますよ!
「今日は明日よりも若い。」素敵な言葉ですね!では、そろそろ最後にお伺いしたいのですが…。大橋さんにとってアーユル・チェアーとは?
自分のメンテナンスの一部…?“機材の一部”ですね!!
現在の世の中には、人を楽にさせてくれる道具が多くなってきていますよね。大きい椅子は体を楽にする椅子。でも、私はコンパクトで機能的なアーユル・チェアーのような椅子を探していたから!とにかくもっと色々な人に知ってもらいたい。そして良さを体感して欲しいと思います。
大橋愛氏
東京綜合写真専門学校卒業後、フリーランスフォトグラファーとして独立。
その後、雪谷スタジオを開設。写真集「UNCHAINED」個展、グループ展多数。
大橋氏オフィシャルHP: http://eye-ohashi.com/